ロバート・マッキー ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の原則



執筆で整形を立てること
週40時間の仕事に就きながら執筆することも可能だ。数え切れないほどの人がそうしてきた。しかし、そのうちに疲れ果てて集中力が落ち、創造力も萎え、書くのをやめたくなる。そうなる前に、書くことで整形を立てる方法を見つけなくてはならない。	

主人公には、少なくとも一度は欲求に到達するチャンスが訪れる。
感巨悪は、欲求を実現する可能性がゼロの主人公を早々に見限る。理由は簡単で、そんな人生があると思いたくないからだ。望みをかなえるチャンスがひとかけらもない
信じる者はいない。もっとも、カメラを実社会に引き戻せば、大局的に見てこんな結論に至るかもしれない。ヘンリーデイヴィッド。ソローのことばを借りれば、「人の巨大な集団が、静かな絶望なままに、その日その日を暮らして」いて、大多数の人は貴重な時間を無為に過ごし、夢を果たせなかったと感じつつ死んでいくものだ、と。辛辣で正直な見方だろうが、だれもそんなことは認めたくない。むしろ、人は最後まで希望を捨てないものだ。
つまるところ、希望とは不合理なものではなく、ただの仮説である。「もしこうだったら……自制したら……宝くじにあたったら……状況がかわったら、望みどおりの人生を送るチャンスがあるのに」などなど。どんなに分が悪かろうと、人はみな胸に希望をいだいている。だから、文字どおりなんの希望も持たず、欲求を叶える能力がかけらもない主人公には、だれも興味を示さない。


これは、人は不誠実だということではない。公の場で人が仮面をつけるのはだれもが認めることだ。われわれは言うべきことをいい、すべきことをしながらも、ほあのことを考えたり感じたりしている。また、そうでなくてはならない。ほんとうに思っていることや感じていることをすべて口にしたり実行したりはできない。みながそれをはじめたら、世界は大パニックに陥るだろう。実のところ、相手が錯乱していると感じるのは、まさにそういうときだ。錯乱すると、人は内面での対話能力を失い、思考や感情をすべて口にしたり、実行したりするので、支離滅裂になる。


人間は基本的に用心深い。必要以上のことをせず、必要以上のエネルギーも使わず、必要のないリスクは追わず、必要がなければ変わろうとしない。あたりまえだ。ほしいものが簡単に手にはいるのに(「簡単」かどうかはもちろん個人の主観による)、わざわざむずかしい手立てをとるはずがない。

カフェで交わされる話を盗み聞きすればすぐ、あんだでたらめな会話は映画では使えないと気づくはずだ。現実の会話には、ぎこちない間、お粗末なことばや言いまわし、脈略のない発言や意味のない繰り返しがいっぱいで、要点や結論に達したりすることはめったにない。しかし、会話の目的は要点や結論に達することではないので無いのだから、それでかまわない。話をすることで「コミュニケーションの道を閉ざさないでおく」のだと心理学者は言う。会話は人間関係を発展させ、変化させるための手段だ。
道でばったり出会った友人同士が的にを話題にしても、実は天気について語っているわけではないのは、だれでも知っているだろう。では、なんの話をしているのか。「わたしはあなたの友人だ。互いに忙しい身だけど、ほんの数分でいいから足を止めて、わたしたちは友人同士だということをあらためて確認し合おう」といったことだ。



戻る
2026/06/03